プログラマーズ Live free ,Beyond limit 2011年07月

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被害者の同意の争い

保険のあたりやが間違えて相手を大けがさせてしまった場合、
どこまで罪をかぶるのかという問題がある。

傷害というのは、相手の同意があったとすると、そもそも傷害罪を考えるのにも当たらない。傷害というのは、相手を傷つけるつもりで相手がそれを分かっていない状態でやったのを傷害というのだから、そもそもそれは構成要件に該当しないという所から検討する説がある。

 窃盗は、相手のいる物を盗るということが前提で、傷害も殺人も相手のいる物を盗るということが前提であるという人がいる。これだと、同意さえあれば何をやってもいいことになってしまう。
窃盗にも社会全体の意思があり、被害者の承諾がある罰するべき窃盗は黙認されているそれが資本主義社会。
その逆で、被害者の承諾があるのに相手の命を奪ってはいけないというのが、博愛主義である。
こんな乱暴な考え方が出てくる原因も、窃取と傷害の関係性。窃取は物があったほうが価値という概念が一般化しているのに対して、瀉血文化によって、治療は切り取る物であるという文化が一般的になっているからその際を論じなければならない。



それに反対する人は、違法性阻却のところで、被害者の同意を検討する。

当たり屋をやられる方は、ある程度の覚悟があるのだから、覚悟の分だけ、加害者の罪責は軽減されるという説と、全く軽減されず、被害者が怪我をすると分かっていても、全ての責任をとらなければならないのか?
という論点がある。

生命を保つために手術などで他人を傷つけても被害者の同意によって、医者は刑務所に入らなくてもいいが、
保険金詐欺のために相手の同意があるとはいえ、そのようなことを許しては、風俗が乱れるのでそれは許すことはできないというのは分かると思う。

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2011/07/29 23:48 | 社会分析COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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