プログラマーズ Live free ,Beyond limit 2013年02月

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征服者たち 

 デモーニッシュな表現を行わなかければ新しいものは生み出すことはできないのはなぜか。新しいものは自分の外側にあるので、自分の把握できる良きものが常に実現できるとは限らない。想像した時点で姦淫しているとみなすというキリストのことばあある通り、夢と現実は区別できず、思考実験をするのと、現実世界で試すことに区別はない。思考実験でさえも、現実世界に影響をおよぼすことを避けられず、そのような2者を区別する割り切りも、契約をして、創造の世界は自分の範囲外だとして進んでいるに過ぎない。また、その道という契約は相対的なものなので、違う方法でアプローチしても良いのだが・・・・
 すべてを抱え込んで責任を持ち管理したいという欲求と、新しいものを作り出したいという欲求は常に対立するが、その整合性をとり、または、激しく対立させるのが契約である。
 自分の責任を果たしたら、あとは自分が精一杯表現して良い(天賦人権)という考え方が、強力な征服の力を持つ。いつまでもグダグダと他人を侵害することを恐れず、どんな表現方法でもいいので自分の欲望をあきらかにする。この踏ん切りを自分と限界まで戦って倫理観を高める。その時に、いくらだからだけ使っても、心の方向性を他人に与えられたら、そこを攻撃されると一気に崩れる。身体で検証しないのも同程度に弱い。
 アニメの魔術の表現で契約をすると力を得られると思っている人がたくさん地いるが、契約をすることで、外部化して自分の中の悪魔を呼び覚ます許しを自分自身に与えるという側面もあると私は思っている。動物から見れば、なぜ自分の悪魔を呼び覚ましているのかわからないだろうが、自分の判断が限界を迎えたからこそ、相手や自分と契約し、それに従うのだ。契約に準じるとは、自己放棄であり、自分の限界を認めて降伏することであり、それによって自分自身にかけていた制限にも降伏する。だから、相手には悪魔や天使が襲ってくるようにみえるのだろう。
 エネルギーが強くなれば、快感不快感とも同僚発生するとすると、不快感は快感の4倍感じやすいので、どうしても悪魔になったように感じる。
 開放系の稽古とは、ある程度のところまではそういった戦いをする。すべての自分の悩みを表現しきり、戦いを終わって契約が固まると、次はその契約にそって天地を結ぶ柱になり続け更に太く輝く高速道路のようになるかという戦いというか過ごし方になる。
 誰とでも和合できるという状態がある。それは非常に重要であるように思う。しかし、完全に意思なき物である動物的意識があれば、それは当たり前にできる。一方、興味を持ち、自分で違う宇宙を想像する意識(興味 好み)があれば、それを実現するために、自分の興味曲げないでおきたいという欲から、その流れに逆らう意思が生ずる。意思なき法則と自分の意志がつながろうとすると、戦いになるがそれを避けて和合しているふりをしてなんになるのか。天が激しく地を襲わなければ、なんにもうまれないし、地が激しく天を襲わなければ、なんの具体性や臨場感も生まれてこない。戦いになった時に、最後まで戦う力が俺には欲しいし、今までも出してきた。力は欲しいというより、天地人々われの流れや循環を早めたいだ。
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2013/02/25 20:29 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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