プログラマーズ Live free ,Beyond limit アスペルガー症候群 対処例

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アスペルガー症候群 対処例

 アスペルガー症候群の具体的対応策と私がこの症例を自分の中でどのように位置づけているのかについて書く。

 

 人間の意識でosに相当する部分とユーザーからウィンドウズエクスプローラー(X window)を通じて操作できる部分に分けて考えると、OSが軽ければ軽いほど高速で動作するけれども、GUI部分が貧弱になると考えている。

 アスペルガー症候群ではこのバランスがGUIがわに傾きすぎてしまって、高速動作するものの、本来あるべき機能が欠落していてなおかつ高速動作する。そして、その機能をエミュレーションすると、本来持っている機能ではないので、とても負担がかかると分析している。

 私のとった解決方法は、普通の人間にOSの構成を近づけるのではなく、自分のOSの設計思想は絶対に変更せず、どんな状況でもエミュレーションできるようにした。ここであきらめて、世間一般のOSをインストールし直すマイクロソフト方式だと、自分で手直しする能力を失ってしまうので、いろいろな状況を誰よりも一番先に開拓する人間として能力が低くなってしまう。最初は随分苦労するかもしれないが、開拓者になる気があるならこの戦法が有効だろう。

 

 さて、ここからは、奥村さんの連載記事の解説です。

http://gendai.ismedia.jp/category/okumura

これらすべての対処法が逃げの一手になってしまっているので、論理が自然を捉えるまで徹底的に怒りを表現しあうと、高能力を獲得できるというのが僕の意見の概略です。

 

 このケースへの僕の対応法は動画にて述べていますがここにも重ねて書く。

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34767

この連載で、一番アスペルガー症候群の利点が書かれているのは、ズケズケと物を言っても良い状態にするととても良く働くことができるという例を述べている箇所である。それは複数ある。このようなさっぱりとした関係は、本能と論理との結びつきが弱いことによって起こると私は思うのだが、この良い状態を維持したままそれらの結び付きを強める方法があり、それはこれから述べる個別の対応によってなされる。

 

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35563?page=8

この事例であれば、対人関係のマニュアルを探すためにNDCgoogleの使い方を教えたり、伊藤静の「大人の教科書」といったマニュアル本を熟読するように提案する。心理学の本をよませ、子供とはどういうものなのかを他の生き物の生態を学習するようにして覚えさせ、短期的な見せ掛けの利益を相手に与える方法を最優先に学ばせる。といった提案が有効なのであって、頭痛を我慢させることはまったくもって有益ではない。大人の文章など読むことはできないと思いがちだが、私は言葉を理解する段階になれば、すでに20歳ぐらいの論理力を持っていたので、全く問題がない。たいていのこういった問題を抱えている人間は、言葉が使えるようになればすでに大人である。

 

 積極的に問題と格闘する方向性を持ってきてやらないと、ただの頭痛の我慢大会になってしまい、人間関係を客観視しなければ正常な動作を行うことができないという長所が吹き飛んでしまう。 私はこれを維持するために相当苦労したし、当時はこのことについて言語化していなかったからなおさら大変だった。これを維持し、事故解決するためのキーワードは、「俺は正しい。世の中が全て間違っている。」である。その間違いが現実に存在することを認めそれを存在させている自分の力不足を認め、絶対に正すことができると信じ、いかになくしていくように格闘するのかが大事なのである。私はこれをやっていくうちに、自分の好きな世界のイメージを維持したまま、他の並行世界も承認できる状態になったので、この子どもが自己表現をするときのキーワードは「自分の世界のリアリティーがまだ足りないので、理解されないのだ。今は矛盾しているようにみえるかもしれないが、表現するに連れそれが一体になりさらに違いが際立つ」だ。

 

 この言葉が論理的に正しいことをいちいち説明した上で、それを想起させるためにキーワードを設定するという方法でインストールしなければならず、僕にとってはこの説明を個人にあわせて行うのは簡単で楽しいのだが、普通の人には難しいだろうと思う。解説動画1解説動画2

 

 

 

 

 

 

2013/04/20 08:38 | 思想統制COMMENT(2)TRACKBACK(0)  

コメント

なるほど、自覚はあるんだね。

ただ、ここで主張していることは理解はできるが、大きな問題がある。

全て自分ためということだ。
利己的なのは程度の差があれ人間すべてそうだからお互い様なのだが、
そのスタイルを取るなら、現代社会において明確なメリットを与えていなければ成立しない。

例えば、親子関係、雇用関係、教祖と信者などだ。

各々違う分野での話しになのだが、
とももと対等でない場合でしかなりたたない。

そのことを認識していながら、
そのスタイルを取らざるを得ないのが、あたたの業なのかもしれないね。

おそらく、あることに気づけば、
自覚でれば、一皮剥けるんだろうと思うね。

大方、極論でしか物事を主張できないが、その訴える理論は可能性という言葉に結びつくようになっている。
そこに矛盾を感じる。

観測者たらんとするものが、
自己を表舞台だそうとする時、

現実が自分のほうに来るように仕向けているのは解る。

ただそこには、あなた以外誰もいない宇宙だ。

いや、一貫しているともいえるんだけどね。

その己の宇宙の維持があなたのいう曼荼羅を構成する宇宙だとすればね。おそらく発想の起点はそうなんだろうね。

なるほど、だから俺みたいな存在を無くするのが目的と言ったのね。

だが、あえていう。
矛盾はここから始まっている。

No:158 2014/03/15 04:28 | 通りすがり。 #- URL [ 編集 ]


正直、あなたの主張を全て否定しているわけではない。

むしろ面白く感じている。

だが、やはり建前と本音の使い方が下手過ぎる。

その内面宇宙を表した言葉が
口をついてついつい出てしまって、
矛盾を孕む結果になっている。

そういう物を他人に無意識に押し付けている。

そういうものとは、その自身のスタイルを相手に強要して受け入れさせるとするメゾットだ。

そこには、あなたの欲しかない。

tpoで使い分けろというと理解してもらえるかな。。。

おそらく知ってはいるができないと理解した上で、もう選択してしまっているんだね。

そこが可能性を狭めている。
選択肢が一つしかないのかい、
あなたのいう因果律を外的要因にしか求めていないかい?

そのスタイルそのものがあなたのいう因果律を生み出していると気づかないのかい?

気付いていて、尚且つ見過ごしているフリをするのは自己防衛で当然なのだけどね。

そのことが、主張している内容に矛盾した人間像を重ねるのが聞いている者の印象だ。

率直にいうと
他人にそのスタイルをあなた自身がとっている事を強要することは
父親が息子に自身の生き方を肯定的にとらえるように強要する圧力とほぼ同一のものだ。

つまり、対等の人間関係において、人はそれを容認できないのが一般的な反応だと思うのだが。

あなたの構想が構想だけに、
そのこう構想の最大の足枷が
あなた自身の性質であるということをキワ出させることになっている。

もっと自身のスタイルに選択肢を複数もてないのかい?

ここに至って、俺の言いたいことも
察しがつくだろう。

あなた自身が因果律と呼んでいるのは外的要因であって内的要因の因果律ではないこと。
内的要因に縛られている以上因果律からの開放は得られない。

それは人間であるからだと思うね。
当たり前のことだ。
その人間が構成するするのが社会だから、可能性はゼロではないが、
社会においての思想統一など他者への弾圧が例外無く起こり得ないことはぜったいにない。
と思っている。
要は、その個人がどちら側にいるかだけだろうね。

本当は気付いていているよね?



No:159 2014/03/15 05:26 | 通りすがり。 #- URL [ 編集 ]


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