プログラマーズ Live free ,Beyond limit 経済は資本主義の観点から見れば衰退するという人に対しての論評

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経済は資本主義の観点から見れば衰退するという人に対しての論評

http://www.gentosha.jp/articles/-/7151
http://www.gentosha.jp/articles/-/7512

それは労働階級の搾取と同じことで、農村システムを破壊し、労働力を動員するさいに、賃金を現状よりも高く与え、それで取り込み、しかし、労働生産価値の一部しか賃金に反映させず、残りは資本に対する利益として計上する、または搾取すると言ってもよい。



労働者の生産価値の一部しか労働者に渡さず、残りを資本家が吸い上げるということになっているが、
使われている貨幣で評価できる部分が少なくなり、なおかつ価値の交換が使われている主な通貨一つのみでしか行えなくなってくると、その部分は誰にも評価できなくなる。

吸い上げられた価値がまた誰かによって使われるなら問題ないだろう。しかし、このモデルでは、価値を交換するときの変換ロスと、非主流な評価基準体系が主流な貨幣を使うためにそれを維持するための労力を奪われて非主流な評価基準体系が消滅することは考えられていない。

 自分の使えない価値が自分から消えることは問題ない。

資本蓄積が進み、一人当たりの所得が増えれば、消費も増え、貯蓄も増える。ケインズ的に消費性向は所得の上昇につれて低下すると考えれば、貯蓄率は上昇していく。それは資本蓄積をさらに進ませる。そして、さらに所得が増える。



「利子生活者の安楽死」:資本主義の後退局面

 こうして十分に資本が蓄積されてくれば、ケインズが「一般理論」の中で述べたように、利子生活者の安楽死、つまり、資本が余って、収益率が低下し、最後には投資収益率はゼロになり、それに応じて、利子率もゼロとなるだろう



これ自体がありえない。 資本主義== 完全に定量的に変換可能な通貨同士のみがすべて価値を表現できるようにするという志向 だとして、それが人間の価値基準を運用する能力と合致しないので、労働者側が搾取されやすくなるので、ちっとも貯蓄は向上していかない。だから、ケインズは間違っているし、この論に乗っかっているこの著者も間違っている。

 

経済発展とは、循環の終局において、つまり衰退局面において、断絶が起こることによってではなく、むしろ逆に順調に量的拡大が起きている局面において、断絶を伴う新規参入が起こることによって推進される



断絶とは、資本の多さによって勝負が決まらない局面でそれは、需要の拡大のみでおこなわれるというのが著者の見解だ。

経済が完全に崩壊して、ゼロスタートとなった場合には、断絶から無、そこからの発展というのはあり得る。しかし、そうでない通常の経済発展においては、大きな循環の中で、その中で断絶を伴って成長が起こる。この場合、消費者あるいは需要サイドの量的拡大がないと、断絶を伴う新規参入は起こりにくい。



それが続いてきたからうまくいったんだからこれからはうまくいかなくなる? そんなことはない。
現状の搾取が続いたとしても、資本家が必要としていない価値の通貨性を高められれば、別にそれは労働者側で個別の通貨権を構築して生活すればいいのだ。
 今の構造縮小してなくなるわけではなく、それぞれの通貨権を維持する労力の配分のされ方と、それらを操るための道具の発展によって、それなりの経済規模が維持される。
 

2017/04/22 17:49 | CurrencyCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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