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好きなときに好きな様に動くと奇妙に思われるが気にしないぞー。

心身開発をして、座りたくあんったので休んでいると眠くなってきて、「そろそろ帰るかー」という気持ちになる。
しかし、帰ってきたらこうやって文章を書いているのだ。しかし眠くなってきたから寝よう。

 いつでも大声を出して昼間でも稽古できたらいいなぁ。でも、そんなことやっていたら通報されるのが落ちだから、やめておくかぁ。などと弱気になっている自分がいる。 そんなのはダメだなぁ。 やりたいなら自由にやる。 他人がどう思おうとも知ったこっちゃないとなりきれない弱い自分がここにいる。

 今日も誰かがきて、「アーーーーーーーー」と大声を出して走ろうと思ったが、躊躇してしまった。 一回決めたらやらなか稽古の勢いがなくなるが、そんなことでビビっているのだ。どうしようもないやつである。

 考え事をしていて、すぐに大声を出して稽古をしたい。 昼間っから酒を飲みたい人間がいるように、俺はいつでも、体を動かして、ハンドスプリングとか宙返りをしたりしたいのだ。それでも法律に引っかかるからやっていない。

いつでも大声を出して体を動かせる家がほしい。 

2014/12/04 01:59 | 新体道COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

世の中の流れに乗っているだけで、悪事を働いている。

3体勢の行き過ぎをなくして、安全にうまくやる方法。

自然から学ぶ方式で、目標を設定して最適化していくと、行き過ぎになる。すべて任せていく、のもう一歩外側に自分で目標を立てなければ、周りとの関係性において最適化された自分が存在するだけだ。生きているだけですばらしいと考えるならそれでもいいだろう。しかし、生きているだけですばらしいなら、周りに悪い人間ばかりがいたら、それに染まっても全く現序を変えず、ただ生存という目的のために何でもする存在になることを許容するということだ。
 新体道では柔らかく動くことを養気体といってよく練習する。方向性がない周りに合わせることだと定義している。だがやり過ぎると腐る。弱い養気体とはやればやるほど方向性がないので、周りの流れの影響をうけるだけでその流れによって周りを侵食し、流れを作り出さないので、自分に働きかけていたものまで破壊して、何も流れがなくなってしまう。これが弱い養気体である。
 周りに影響を受けているだけだから、私に善悪は関係ありませんという主張は成り立たない。川上からしょっちゅう川津波が起こるなら、そのいずをなくしてしまえというのが川下の論理である。これを知らずに、容器体ばかり練習して、川上の言いなりになっている間だけ生きて行こうというのが、近頃流行っているすべての体を使った商売の主張である。素直になれば金が入ってくる?そんなに何も自分の目標を持たないただの水のような存在を多く作りたいなら、目的を持って、あらゆる存在の争いを構成に調停して、それぞれの命が各自が楽しめるコミュニケーションを互いに取れるようにするという俺とは対立するから、俺は奴らを消す。
 
 体勢というのは、回路の状態であって、必要なときにその状態になれることだけが重要で、完璧にその体制だからといって正しい訳でもない。

 悟りという意味では、何かになりきるだけで達成できるのだろう。しかし、悟りを人間として使いこなすためには、人の間のコミュニケーションの方法の最も公正な状態の条件を知らなければ、自分の医師で使いこなせない。知らずに公正に使うなら、知っている奴の奴隷になる以外はない。

 特に新体道の稽古人に当てはまることだが、稽古することが目的になると、ある体勢になることだけを練習して、それを使って日ごろどうするかというのがちっとも出てこない。俺は、 user experience に新体道を当てはめられないから、どういう画面を作ったら SRNSがヒットするかわからないというところで大いに悩んでいる。もし俺より新体道が上手な人間がいるというのなら、この問題に当てはめて解決してみてほしい。 俺は、SRNS計画完遂のために稽古をしている。良い大衆扇動者になって早く完遂したい。HTML5を新体道で分析してその範囲のUIの組み合わせの指針を新体道並に体系的に把握したいし、プログラミングにもそれを伸ばしていきたい。最も公正なコミュニケーションの手段の実現のために今日も稽古をしたし、明日もする。
 ここ2週か1ヶ月ぐらい 毎日1時間以上 開放体正座をしている。最近はすっかり悲壮感をなくして、楽しみの先にSRNSを置いて素直に進んでいるから、ずっと稽古量も増やしている。一人稽古で多い先生と週に4回組手をしていた時よりも稽古をするようになれば、劇的に変わるのだろうが、そこまでではない。楽しみに従って加速度的にジリジリとあせらずにやることに重点を置いている。

2014/11/08 21:13 | 新体道COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

努力できない人間はHALTであり、それを避ければ努力できる?

主に 食べる量を減らしながら、エネルギー吸収系をやっている。

眠たくなったら、眠る勢いに任せて、地面のそこからエネルギーを吸ったり、光からエネルギーを吸ったりするイメージを持っている。

光の方はまぶしすぎるのは避けて、朝日を主に吸収している。


覚せい剤中毒の治療の指針としてHALTを避けるというものがある。
Hangry 空腹 Anger 怒り Lonely 孤独 Tire 疲れ が努力するやる気を奪う。
しかし、幸せを感じていると努力できるのだ。

努力 = 幸せ + HALT

だとしたら、 努力したまま HALTな状態になると 幸せだけが沸き上がってくるというのが、新体道で体験できることだ。
この努力というのが一面的であれば、完全な幸せに離れないけれども、無限の彼方に目標をおいて、全身全霊でブル枯れる指針を提供すればできる。

 もっと、食べなければいけない量を減らしたい。
休むときに躊躇なく休める人間にもっとなっていきたいし、そうなっていると思う。

2014/11/05 20:40 | 新体道COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

今を楽しみ続け、立ち止まる勇気がいる


何かを考えている時に、他のことを考えたほうが楽しいことがあるのではないかと思ってしまう。今はツイッターで電王戦をやっているからそれを見て楽しもうとか・・・・・

 自分がどうして今の行動をして安心しきっているのか論理的に把握して、リスクを取っていかない限り、永遠に解決しないだろう。今日の電王戦はおいておいて、プログラミングに集中して、身近な楽しみを優先する有機を持って行こうと決断する。 電王戦を楽しんでいなければ、あとから取り返しがつかないなんて思わない。電王戦を楽しまないことで、あとから見ようとした時に、将棋の読みを学ぶことによって、プログラミングが上達することもあるから、それを見ようとするのはいいことかもしれない。でも、今、プログラミングをすることが上達することになるんだからそれにかけよう。今日も明日も楽しいことはある。常に稽古をすれば無限の楽しさがそこにあるじゃないか。

今日の朝は座ってプログラミングをして少し考えたものの、電王戦のほうが楽しそうかな?という未来の期待に基づいて方針を変更してしまった。今楽しいことに集中していればもう少し出来たのに。
この自分が楽しいと感じていることに対して自身を持てないところがだめだな。

2014/11/03 20:54 | 未分類COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

大きな大きなひとりごと

今自分が認められない気持ちを仮母kなければ、あとからチャレンジしてくる人間のためにならない。
書かなければ前に進まない。自分が開いた道は道が消えないように軌跡をつける。道を切り開いて舗装するまでか切るという意味だ。アレとコレを分ける。分けたままにして分けたことをわからせるのだ。

自分が認められないこと俺は思っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%B8
自分のやったことあh、チャールズ・バベッジと同じぐらいの業績であると考えている。
しかし彼のように機械を完全に完成させることができていない。自分の能力が足りないからだ。

自分がすごいことをやったというと、いろいろの人が「うざい」と言って拒絶して嫌な目に遭うから嫌だと思ってしまう。
去年も人を助けたことを自慢したら、今年は山に行くのを誘われなくなった。
だから、自慢すすのはこれっきりにしようと考えてしまう。でも、そこで折れて自慢せずに慎ましく行ったって、俺のようにあとからチャレンジする人間がその行動によって救われるはずがない。

燃えよペンのように代表作のない人間が漫画家漫画を書くことに意味があるのだ。
おれは有名じゃない。歴史に名を残したとも認めてもらっていない。転載だとも認められていない。俺が絶対に一番正しいとも認められていない。

しかしそれでも、おれが絶対に正しく、いまのところは人類の中で俺が一番天才的だ。自分がそう思っているならそう思ったまま進むしかない。我慢して言わなければ、精神の井戸の底に向かって言うか、貯めこんで病気になって死んでしまう。

無様で人に笑われようが、俺は俺だ。人間をやめても、俺であることは絶対にやめない。

自分が素晴らしいことを考えついても、せいぜいチャールズ・バベッジ程度の地位なのかとおもうと、いくらいい思いつきでも、周りに合わせていく功績を上回ることはなく、それらは同価値なんだと思う。
 自分に周りに合わせることと、自分を曲げないことを両立しにくい。
 世の中のどんなことも同程度に大事だしくだらない。しかし、その幻想の中に生きる人間にとって、その宇宙全体とその中に含まれる小さな存在が互いに互いを認めるためにはどうしたらいいのか?という最短距離は存在する。今はたまたま文字を使って更新するがゆえに、通貨が重要なのだ。

2014/09/26 21:50 | 日記COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

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